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世界文化遺産「富士山−信仰の対象と芸術の源泉」とは?

ユネスコの世界遺産委員会は、2013年6月22日、日本の富士山を、

静岡県の三保松原を含めた形で世界文化遺産として登録する事を

決めました。標高3,776メートル、日本の最高峰・象徴として日本国内

のみならず、日本国外の人々からも愛されてきた富士山がついに

「富士山−信仰の対象と芸術の源泉」という名称で世界文化遺産として

登録されたのです。そこで早速、富士山の信仰の対象と芸術の源泉(文学)

について調べてみる事にしました。

ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)とは・・・

諸国民の教育、科学、文化の協力と交流を通じて、国際平和と
人類の福祉の促進を目的とした国際連合の専門機関の事を言います。
1946年11月4日に創設されました。

世界遺産とは・・・

遺跡景観自然など、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」を
持つ物件の事を言います。

世界文化遺産とは・・・

人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の
集積または景観が優れ、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、
文学的作品に明白に関連するものの事を言います。

富士山の語源は?

@「フジ」という長い山の斜面を表す大和言葉から転じて富士山と称された
という説があります。

A「火を噴く山」を意味するアイヌ語の「フンチヌプリ」に由来する
という説があります。

B「竹取物語」から生まれたという説があります。

最後のシーン。かぐや姫は月に戻る際、帝に不老不死の
薬を残しました。しかし、帝は日本一高い山の上でその薬を焼かせ、
その山は「不死(=富士)」の山になったのです。


@なぜ自然遺産として登録されなかったの?

1990年代初めから、富士山を世界遺産に登録しようと

動きが活発になり、当初は自然遺産としての登録が検討されました。

しかし、環境問題(ゴミ問題)により自然遺産への登録は見送られる

事となりました。富士山周辺には年間3,000万人もの人が訪れ、

る世界一ポピュラーな山として人々から愛されていますが、

富士山周辺を訪れる人の中で「ゴミのポイ捨て」をする人が数多くいる為、

環境基準を満たす事ができず自然遺産としての登録ができなかったのです。

富士山の世界文化遺産登録を機会に、私達、ひとりひとりが、

「ゴミは持ち帰る」という意識を持って富士山を守っていきたいものです。


A構成資産はどうなっているの?

今回、世界文化遺産として登録されたのは「富士山」だけでなく、

富士山域の「信仰」・「芸術」・「景観」の地を含めて登録される

事となりました。以下が構成資産となります。

文化財 所在地
山頂の信仰遺跡群 静岡県富士宮市
大宮・村山口登山道 静岡県富士宮市
山口登山道 静岡県富士宮市
須走口登山道 静岡県駿東郡小山町
吉田口登山道 山梨県富士吉田市
北口本宮冨士浅間神社 山梨県富士吉田市
西湖 山梨県南都留郡富士河口湖町
精進湖 山梨県南都留郡富士河口湖町
本栖湖 山梨県南都留郡富士 河口湖町
富士山本宮浅間大社 静岡県富士宮市
山宮浅間神社 静岡県富士宮市
村山浅間神社 静岡県富士宮市
須山浅間神社 静岡県裾野市
富士浅間神社 静岡県駿東郡小山町
河口浅間神社 山梨県南都留郡富士河口湖町
冨士御室浅間神社 山梨県南都留郡富士河口湖町
旧外川家住宅 山梨県富士吉田市
小佐野家住宅 山梨県富士吉田市
山中湖 山梨県南都留郡山中湖村
河口湖 山梨県南都留郡富士河口湖町

忍野八海

出口池

御釜池

底抜池

銚子池

湧池

濁池

鏡池

菖蒲池

山梨県南都留郡忍野村
船津胎内樹型 山梨県南都留郡富士河口湖町
吉田胎内樹型 山梨県富士吉田市
人穴富士講遺跡 静岡県富士宮市
白糸ノ滝 静岡県富士宮市
三保の松原 静岡市清水区

もし、富士山周辺を旅行する機会があれば、文化遺産登録地

巡りをしてみるのも面白いかもしれませんね。


B文学としての富士山



上の動画は「富士山」または「ふじの山」というタイトルの歌です。

作曲者は不詳で、作詞は巌谷小波が手がけており、1911年(明治44年)

より小学校の教科書に掲載されるようになりました。富士山に関する歌の

歴史は古く、7世紀後半から8世紀後半ころにかけて編まれた

日本に現存する最古の和歌集である「万葉集」でも富士山を

詠んだ歌がいくつも収められています。

また、「竹取物語」では富士山が舞台となり、太宰治の小説「富嶽百景」

や直木賞作家である新田次郎の「強力伝」、「富士山頂」等、数多くの

富士にまつわる文学作品が登場しました。


C信仰としての富士山

富士山を神体山として、また信仰の対象として考えることなどを指して

富士信仰と言います。富士山は古くは「福慈神」・「不尽神」と記載される

ような霊妙な神山・日本鎮護の神山でしたが、奈良時代末から

火山活動が活発化し火山神(浅間神)として全国に広まりました。

現在、浅間神を祭る神社は全国に約1,300もあり、多くの人々が

富士山を神格化していた事がわかります。ちなみに、浅間神の

浅間は活火山である「浅間山」が語源となっていると考えられています。


D芸術としての富士山

富士山は、「日本のシンボル」として古くから芸術の対象とされ、

多くの画家に愛され、そしてすばらしい芸術作品が数多く生み出され

ました。現存する最古の富士図は法隆寺献納物である

延久元年(1069年)の『聖徳太子絵伝』で、甲斐の国、今の山梨県

から贈られた名馬に乗った聖徳太子が、たちまち富士山の頂上まで

上っていく様が描かれています。その後、鎌倉時代には、富士信仰

の成立に伴い礼拝画としての『富士曼陀羅図』も描かれました。

江戸時代になると、浮世絵のジャンルとして名所絵が確立すると、

葛飾北斎の『冨嶽三十六景』・歌川広重の『不二三十六景』

『冨士三十六景』に代表される数々の作品が描かれ、

葛飾北斎の達者な描写力、速筆・歌川広重の立体的な描写は

風景画の新生面を切り開きました。


このように富士山は古くから「日本のシンボル」として文学、信仰、芸術面

の発展に大きく関わってきました。そして、この事が世界遺産委員会に

評価され、富士山は、「世界の富士山」として、世界文化遺産に登録される

事となりました。
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