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なぜ紅白歌合戦・運動会は赤(紅)・白なのか?

紅白歌合戦では紅組と白組、運動会では

赤組と白組に分かれて、対抗戦を行いますが、

なぜ対抗戦は「赤(紅)、白」なのでしょうか?

早速、なぜ対抗戦は、赤(紅)、白で行うのか?

その歴史を調べてみました。


@なぜ対抗戦は赤(紅)・白に分かれるのか?

対抗戦で赤(紅)・白に分かれるようになった理由

については下記の説があります。

一、源平合戦で源氏が白旗を、平氏が紅旗を掲げて

戦った際に用いられた配色であり、対照的な色合いで

ある事から、対抗戦には赤(紅)・白が用いられるように

なったとの説。


二、赤(紅)・白は柳田國男(やなぎだくにお:

1875年-1962年)が見出した日本の伝統的世界観

から来ているとの説。すなわち紅白には晴れ(ハレ)の意味があり

結婚式等の晴れの日には、赤(紅)・白の色の

ものが並びます。(ウェディングドレス・赤飯・餅等)


三、赤が赤ちゃんというように出生を意味し、

白が死装束の色のように死や別れを意味するところから、

人の一生を表す事から対抗戦は赤・白が用いられる

ようになった説があります。


このようにいくつかの説がありますが、

上記の3つの説を比べてみると、源平合戦から

対抗戦は赤(紅)・白が用いられるようになったと考える

のが妥当のような気がします。

※源平合戦とは・・・

平安時代末期の治承4年(1180年)から

元暦2年(1185年)にかけての6年間にわたる

大規模な内乱の事を言います。

平氏政権に対する反乱から始まり、最終的には、

平氏政権の崩壊により源頼朝を中心とした

関東政権(鎌倉幕府)の樹立という結果に至りました。

源平合戦は治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)


とも呼ばれています。

@なぜ紅白歌合戦は赤でなく紅なのか?

中国から「赤・紅」という漢字が伝えられた際、

「赤」を「セキ」と音読みする場合、、

「赤裸々」「赤貧」などのように「裸」「むき出し」などの

別の意味になってしまう為、、古来から日本でも

「あか色」は「紅色」という漢字が使われてきました。
(戦後の教育で「あか色」は「赤色」となりました。)

このような歴史的背景があり、紅白歌合戦の「あか」は

「紅」という漢字が使われています。

ちなみに、中国では現在でも「あか色」に「紅」という

漢字を使用しています。日本の「赤十字社」は

中国では「紅十字会」と書かれています。

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